【自伝】インフラエンジニアが転職を決意するまで|28.ノイローゼ

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ノイローゼ

このころのアルパパはノイローゼになっていた。
理由はD係長とのやりとりである。

D係長と話をするときは準備が必要だ。
準備せず、話をして、返答に困るとボロクソに言われるのだ。
チームメンバーが居る目の前で。後輩もいるのに。

「××が資料に入ってないぞ!」
「なんで●●を考えておかないんだ!」
「▲▲のリスクを想定しておけよ!」
「★★の方が、まだまともな資料作るぞ!(★★は後輩)」

おや?その指摘は初めて聞きましたよ?みたいなものも多い。
(もちろん初めて聞きましたみたいなこと言ったら、余計に長くなるので言わない)
少しでもスムーズに話を進めるため、可能な限り想定問答を考えておくのだ。

例えば見積もりの承認を得たいとする。
営業さんから催促が来ているので、早くD係長に見せて承認を得たい。
そんな状況でも自席で必ず頭の中の仮想D係長と会話をする。

「この部分を指摘されたら、こう答える。いや・・その答えだと、こういう指摘が来る・・だったら別の答えにしよう。」

みたいなことを頭の中でやっている。
これで30分でも1時間でも経過していく。

そういえば今は事務作業員マンになったU主任も同じこと言ってたな。
「D係長のありがたい授業が開催されないようにすることが大切なんだよ」
自分が実際に授業を受けて見て、U主任の気持ちが少しわかった気がする。

頭の中の仮想D係長と対話する日々がしばらく続いた。
しばらくし、D係長に話しかけることが出来なくなってしまった。

子供じゃあるまいしと思うだろうが・・・。
本当に話しかけることが出来なくなってしまった。

話して仕事を進めなければいけないのは分かっている。
でも話すことで嫌な思いをする。精神的な苦痛を強いられる。

頭では分かっていても体が動かない。
この辛さは人生の中で3本の指に入る辛さだったかもしれない。
正直、自宅のマンションから飛び降りたり、通勤の電車に飛び込んだ方が楽だと思っていた。

死ぬことを考えていた。
マンションを買ったばかりだからローンはどうなるんだとか?も気になったけども、
一番は奥さんと娘も後を追ってしまうかもしれないとか考えた。
今思い出せば、家族の存在に助けられたと思っている。

そんなこんなでD係長と話せずに1週間ぐらいが経過した。

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